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歴史その2 |
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| 富岡の和算家「関根熊吉」
「和算」とは、中国に起こった数学が日本に伝えられ江戸時代に入って独特の発展をしたもので、明治時代になって西洋から入ってきた「洋算」といわれる、現在使用している数学に対して「日本の数学」ということで和算と呼ばれています。 この「和算」は、はじめの頃は計算をするのに「算木」という棒を用いて計算を行っていましたが、後に筆算になって微分積分などの高等数学に進歩して行きました。「洋算」のように数式を用いるものではなく言葉によって計算をしていくという覚え易さはありましたが、算式が簡潔でなく、流派に別れて伝えたという秘密性があって、明治初期に「洋算」が取り入れられてからは急速に衰微してしまいました。 こうした中で、安政元年(1854)3月に富岡町小良ヶ浜に生まれた「関根熊吉」は、若年より和算を学び、32歳の頃、田村郡船引町の最上流和算家である佐久間纉(庸軒)のもとに入門し、以後12年余に渡って勉学に励み初伝および指南免許を与えられて故郷の小良ヶ浜に戻って開塾し、この地方で和算の指導にあたりました。 「関根熊吉」は、佐久間塾に入門中に、先に病気で失明した右眼に続いて左眼も失明してしまいましたが、失意のどん底より奮起して師弟の指導にあたり、さらに盲人用専用算盤(訓盲算盤)を考案したり、旧富岡町議会議員の要職につくなど地域の振興に尽くしました。 「関根熊吉」が考え出した和算の絵馬といわれる「算額」の復元されたものが富岡町文化センターに展示されてあります。興味のある方はぜひご連絡下さい。 (参考文献・氏家義之、庄司国男共著「わかり易い和算の問題集」)
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